惣譽酒造株式会社

酒蔵の四季

2017
57
Sun

岩手から冬季だけ酒造りに来る蔵人は、夏の間、農業に従事している。4月半ばに帰って、田植えの準備、稲や野菜や林檎を育てて、秋には稲刈りを済ませて、また栃木に酒造りに来る・・・というのは、ひと昔前の話で、今は専業農家の出稼ぎの人はほとんどいない。みな、他の会社に勤めたりして、2足のわらじを履いている。そして、若い世代は出稼ぎに行かない。何処も同じ、高齢化である。惣誉酒造には、6人の方が岩手から来てくれている。地元の年間社員5名、地元の季節社員2名、岩手からの季節社員6名。リーダーである杜氏は40代、地元の年間社員が、このチームを率いる。が、そのうち、この制度も続かなくなると、私は思っている。地元の社員のみで酒造りをする酒蔵が増えている。そちらの方が多いかもしれない。

日本酒は寒仕込みと言って、蒸した米の温度を下げて、低温でもろみを仕込んだり、発酵温度を低温にすることで良い酒ができたり、冬に造る酒である。そして、その製造は冬季の出稼ぎという労働に支えられてきた。(北の方で雪が降る地方の酒蔵は、地元の方が冬季だけ勤める社員さんもいる。)日本酒の酒蔵そのものが、まさに、日本の農業とともにある。この栃木の里山にある惣誉の蔵も、移りゆく季節のなかで、1年のサイクルを繰り返す。

 

春夏は、会社では、仕込んだ清酒を瓶詰めして出荷する仕事を皆でしている。しかし、そのメインの仕事以外に、にぎやかになる庭や畑の管理が忙しくなる。これは、商売にはならないけれど。

 

春、桜の咲くころ。酒造りを終えて、蔵人が帰る。静かになった会社の構内に、桜の花びらが舞う。やがて、木々の新芽が萌えいづる季節、市貝町の田んぼには水がひかれ、映り込む青空が、眩しい日差しに反射する。夜になると、一斉にカエルの鳴き声。

惣誉の畑には、ネギ苗を植えてあって、じゃがいもの土をよせて、さやえんどうの花が咲いて、青物が育ってきている頃。春の豆類などは、うちの家庭のみで食べるだけ。夏野菜のナス、きゅうりは、一畝作ると食べきれないので、最近はご近所からもらうだけ。蔵人の食事に出すので、冬野菜のネギ、大根、白菜、そしてカレー用のじゃがいもは多めに作る。

5月の初め、会社の北の竹やぶにタケノコが顔を出す。掘らないと、竹になってしまうので、食べられるだけ掘って、それ以外は、生えなくなるまで頑張って、3日おき位にみんなで代るがわる蹴り倒しにいく。竹やぶがボサボサにならないよう管理するために。

6月の梅雨の季節に入ると梅の実をとる。樽いっぱいを塩漬けにして、梅酢が上がったら赤しそを入れて、梅雨明けを待つ。7月の土用に3日位干すと、自家製の梅干しができる。これも蔵の食事に。

きゅうりを沢山頂いたら、酒粕に漬け込んで、粕漬けを作る。強い塩漬けにしてから、ザラメと柔らかくなった漬物用酒粕に漬ける。秋には畑の大根も粕漬けにする。

夏の間は、草刈り、草むしり、草との戦いが続く。

 

そして、涼しい風が吹き、畑に霜が降りるころ、また、蔵人がやってくる。

 

農作物を育てる季節と酒仕込みの季節が交互にやってくるのが酒造りの一年のサイクルだったが、多分、この先の状況はそれを許してくれなくなり、もっと長い時期、冷房のきいた蔵で少人数の地元社員で酒を仕込み、生産性を上げて、無駄な農作業や庭仕事は手伝ってもらえなくなるのだろう。農業や酒造りだけでなく、いろいろな現場に人手の足りない世の中である。農作物でも、麹や酵母などの微生物でも、動物たちでも、人間の子供でも、その季節、その時間しかできない世話というのはあって、それを人工の環境でごまかしながら行っていくというのは、進んでいるように見えて、そうではない、間違った方向へ進んでいく。そうせざるをえない無力感というのだろうか。

その地方の美しい自然の中の営みと、丁寧な暮らし。今、煩わしいとして切り捨てられそうになっているもの。それが、日本らしい、日本酒の造りらしい本来の姿のような気がするのである。

 

(そんなこと言っても、面倒な作業は大嫌いなワタクシなのですけれどもね。)