惣譽酒造株式会社

母屋の片付け

2017
717
Mon

古い家を片付ける人は皆、経験することであろうけれど、前の代や、その前の代の生活がそのまま残っている場所に入り込んで片付けるということは、何か、時を遡ってその人々に会いに行くような、不思議な感覚がつきまとう。

地震で建て替えが必要となった古い母屋は、明治5年にこの場所で生活が始まった家だった。代替わりしても、人は全てを片付けて亡くなっていくわけではなく、色々な生きた痕跡が残されていた。私が出会ったのは主人のおばあさんまでだったから、数えてみると、そこから上の代、三代ぐらいが生活していたことになる。義父の代に増築された部分もあったが、事務所が入っている表に面した木造は、本当に百年の時を感じさせる二階建てで、押し入れの中を片付けていると、商売の家らしく、筆字で書かれた大福帳や、古い銭、拾銭紙幣などが出てきた。また、髷を結った髪で寝る高い台のついた枕。かんざし。古い着物。みな、ホコリと土にまみれて、見る影もない。そして、火鉢が沢山。食事に使った箱膳。中にはちゃんと茶碗が入っているものもあった。江戸時代が終わって、明治時代になり、それでも着物を着て髪を結って、筆で文字を書き、暖を取るのは火鉢。食事はお膳を座敷に並べて食べていたのだろうか。時代劇で見る食事風景が浮かぶ。

残念ながら、地震で土台が東へ流れて柱が基礎から浮いてしまっていたので、建て替えが必要になり、全てを取り出して「思い出」として一部を保存し、大部分を廃棄した。ここで、河野家の歴史は大きな断層を刻んだことになる。しかも父母は弱くなり、主人は仕事が忙しく、ほとんど私、外からやってきた私が、積み重なったものを捨てるという役目を引き受けることになってしまった。私の生きた痕跡も、こうして残したまま逝くようになるのだろうか。できるだけ、身仕舞いを良く暮らして終わりたいと、そんなことを考える。

そして、自分たちがこれまで暮らしてきた後片付け。地震の起きた直後から、少しずつ物を減らしてきたつもりだったが、それでも二十年以上住んだ家である。子供が育つ間のおもちゃや、学校の道具などもまだ沢山あったし、本棚の本には辟易した。もう、これから蔵書として残す本は厳選しよう。文庫本は読んだらすぐ処分しよう。もう、本は増やさないぞ。そして、挙句の果てにキンドルを衝動買いした。でも、キンドルでは結局満足できず、キンドルで読んだ本を紙で買ったりしていて、本は減ることはないのだと、あきらめた。

 

2012年の3月末に、住処や事務所の全てを空にして、義父の住む向かいの家へ引っ越した。そしてすぐ、4月から、取り壊しが始まる。

 

義父の家で、私達は仏間に布団を敷いて寝ることになっていて、さて、寝る準備をしましょうと、仏壇の前のお線香立てなどが載った小さな台を動かそうとしたら、・・・ガチャーーン!と、台の脚が取れて、ひっくり返り、お線香立ての灰が畳一面にぶちまけられた。

 

疲れきった身体に、ご先祖様の祟りが襲いかかったような気がして、涙が溢れてきた。