惣譽酒造株式会社

村上海賊の娘

2017
87
Mon

「惣誉」は、なぜ、惣誉という銘柄なのか。銘柄名の由縁は何ですか。と、よく聞かれる。当主の名前が、惣兵衛、惣右衛門と、一代おきにこのふたつの名前を襲名してきて、この惣の字を採って、「惣誉」となっている。(しかし、現在の当主は襲名していない。先代は本名が「宗右衛門」という、字の違う惣右衛門であった。)「惣」という字には、「すべて」「あつまる」「全部をまとめる」などの意味がある。室町時代の農村の自治組織の呼称を「惣」と言った。農民の集まり、寄合である。銘柄名から、具体的な花や山などのイメージや地名などを思い浮かべられないので、すぐには理解されないし、覚えられないことが多い。しかし、音の呼びやすさはある。そんなに具象的にすぐ一つのものと結びつかないということも、酒のイメージを固定せずに自由ということもできる。

昔、昭和の始めのころまで、丸上正宗(マルジョウマサムネ)という銘柄を使っていた。今も、近所で屋号で呼ばれるときは、「まるじょう」である。私は「まるじょうの嫁さん」である。(そろそろ「まるじょうの婆さん」)この銘柄名は、なぜなのだろう。結構、直接的に上級品といいたいのか、それとも、ここが上根という場所だからか、なんだか、ちょっと安易な感じ。と、思っていた。崩れる前の古い母屋の瓦に、◯で囲んだ上の文字が付いていた。また、現在の門の銅板の雨樋に同じ「◯上」が描いてある。ここへ移ってきた当初から、「丸上正宗」を名乗っていたことがわかる。

最近になって、ひょっとしたら、そうだったの!と、いうような、「◯上」の由縁に関することに、行き当たった。

 

「因島村上は我が毛利家にすでに臣従しておりまする。来島村上もまた、主家であるところの伊予守護家、河野家の家運が衰えたにより毛利家を頼ること多にござれば、これも動かすこと可にござりましょうな」宗勝はそう輝元に言上した。・・・・来島村上は四国本土に近いことから、因島村上のさらに前に伊予国の河野家の家臣になっている。来島村上はこの当時、主家を凌ぐ勢いだったが、依然、河野家の家臣のままであった。その主家である河野家は四国土佐の長宗我部元親らに押され、毛利家に何度か窮地を救われている。一朝時あれば、来島村上に毛利方へ味方せよと命ずるはずだ。・・・「おおい、こら!待たんか」と、さらに後方から遠く声が聞こえてきた。楯板の上から顔を出して後ろを見やると、追いかけてきたのは関船である。近付いてくる船腹には、丸に上の字の家紋が大書されていた。紛れもなく村上海賊の家紋であった。・・・・(和田竜著「村上海賊の娘」より)

 

このベストセラー小説には河野家と◯上が語られている。◯上は、村上海賊の家紋であった。そして、我々河野の家は、家系図によると、愛媛県、伊予国の出身なのである。

何も残されているものがないので、はっきりとは言えないが、この村上海賊の家紋と、うちの銘柄の間に、何らかの関係があるのではないかと思わせてくれた。

 

全くこの物語のクライマックスとは関係ない部分で、ちょっとだけドキドキしながら、「村上海賊の娘」を読んだ。