惣譽酒造株式会社

蔵の食事

2017
425
Tue

4月になった。ここ、惣誉酒造へ来て28回目の酒造りの季節が終わろうとしている。

9月になると、蔵人の宿舎や台所の掃除。10月に入れば、布団干し。第一陣が20日ごろに岩手からやってくると、いよいよ準備が本格化する。11月の始めには蔵人全員が揃って、酒仕込みが始まり、冷え込んだ朝の空気に米を蒸す香りが立ち込める。酒の仕込みは3月まで続き、4月にすべての酒を造り終わって、岩手の蔵人はふるさとへと帰って行く。秋冬に比べれば静かな春と夏を過ごし、また次の仕込の季節を迎える。これが、わが酒蔵の一年である。

蔵人の三食を作っているのは、岩手から一緒に来てくれるまかないの女性である。食事の材料は近くで私が買ってきて、お渡しする。メインの肉や魚を買ってくれば、野菜は畑にできたものを主に使って、蔵人12人から13人の食事を毎回作り、温かいものをだしてくれる。体力的にも精神的にも骨のおれる仕事をする蔵人にとって、食事が美味しいということが、一番のやすらぎではないだろうか。彼女の仕事は偉大である。

蔵によっては、蔵の奥さんが炊事をしたり、お弁当をとったり、食事の世話はさまざまであろうが、うちは以前から、岩手の女の人が賄いについてきてくれていた。材料の買い出しは車の運転をしなければならないので、奥さんがする決まりである。主人の母から引き継いだ最初の仕事はこの食材の買い出し役であった。そのころは営業や配達の人のお昼ご飯も出していたので、冬季の朝晩は12名分、昼は30名分という大量の買い出しで、スーパーにある魚の切り身を買い占めるような、まとめ買いであった。今は蔵人のみの食事となったので、少し量は減ったけれど。

私自身はどうか、といえば、台所仕事は結婚前、ほとんどしていなかったし、できなかった。結婚してきてから、様々に恥ずかしい失敗をくりひろげた。お味噌汁にお豆腐を最初にいれて、よーく味がしみるからいいのでは、と言って、義母に困った顔をされたり、カレーの水の量を間違えてサラサラのカレーを作ったり、卵焼きは上手に巻けなくてスクランブルエッグを固めたり。最初のころ、一緒に台所に立って教えてくれた義母は、少しも厳しいことを言わず、教えるというより、見守ってくれたように思う。そして、不器用な私を、何かにつけて褒めてくれた。我慢強く、本当に優しい義母であった。

食べることは元来好きなので、それから長年の間には料理もそれなりにできるようになったけれど、それでも、主人が昼ごはんも家で食べる商売の家は、なかなかめんどくさい。少しは男の人も料理をするように教育するべきだったと思う。

でも、台所に入ってこられて台所仕事にいろいろ口出しされるのも、うるさいかしらね。あまり文句も言わず、これまで私の料理を食べてくれたことに、感謝することといたしましょう。