惣譽酒造株式会社

犬の話

2017
54
Thu

昭和の頃には秋田犬が2頭、飼われていた。夜は構内に放し飼いになっていて、入り口の門の外から、「犬を繋いでくださーい。」と、来客は叫び、家人が犬を繋いだことを確認してから開門となり、入ってきたという。工場の西の端に、人も住めそうな犬小屋があって、秋田犬の夫婦は子を設けたそうだ。子犬はあちこちに、もらわれていった。大型犬には欠かせない散歩は主人(義父)の役目で、近所を2頭引っ張って歩いたというから、とても女の力では無理で、散歩の途中で2頭が喧嘩を始めて、間に足を入れたら、両側から太ももに噛みつかれたという武勇伝は、話に聞くだけならいいけれど、実際には修羅場である。血みどろ。「痛かったぞお。」と、義父は言う。

 

その秋田犬のあとは、雑種を1匹、柴犬を3匹、というのが惣誉の河野家の飼い犬の歴史である。一番利口だったのは雑種のマルという犬で、繋がなくても玄関前でじっと番犬していて、畑に連れて行っても逃げ出すこともなく、おばさんのそばで待っていて、亡くなるときも同じ場所で眠るようにして亡くなった、って、嘘のようによくできた犬の話を義父はする。

その後の柴犬たちは、2匹(最初の2代)はおもに主人の祖母が世話をしていた犬で、やはり夜は構内で放し飼いにされていて、朝、社員が出勤してくる前に、犬小屋の前に繋がれる犬であった。2代目のわんこ、タロちゃんは、私が嫁に来るのとほぼ同時にもらわれてきた子犬で、やや彼の方が先輩だからか、私が呼んで繋ごうとしても気が向かないとやってきてくれない。

「ターロタロタロ。」

呼んでも、ちょっと離れたところで様子を見ている。ばかにされているのである。エサで釣る。(これを待っているのね。)彼の好きな煮干しなど用意して、やっとのことで捕まえる。夜中に門の下をくぐって脱走し、近所で悪いものを食べたらしく、具合が悪くなって、まだ6歳くらいの若い犬だったのに、亡くなってしまった。祖母はとても悲しんで、時々、まだ薄暗い朝方、庭にタロの幽霊を見たりしていた。

「タロがね、そこの芝生の上にお座りしてこっちを見てるの。」

 

それからしばらくは、犬はいなかったのだけれど、2003年の815日に3代目の柴犬、クンちゃんがやってきた。小学生の娘の「犬飼いたい。」という希望におじいちゃんが喜んで、即座に柴犬の子犬を見つけてきてくれた。

家族のなかにも犬好きとそうでない人はいて、義父は大好き、義母はあまり好きでない、主人はぜんぜん興味がない(きらい)、私は自分で飼ったことはなかったけれど、かわいいと思う、うちの子供たちは好きなようだ、義父義母は家を留守にしがちである、したがって、今度の犬は、私が世話をすることになる。

ペットショップから初めて連れて帰る車のなかで、子犬の入った小さな段ボール箱を膝にのせて、上から彼の様子を見ていると、生まれて一か月半の柴犬は、まだひょろひょろとして、段ボールの底にうずくまっている。ちょっと車酔いをしたらしく、唾液のようなものを吐く。弱々しい男の子である。娘たちも嬉しそうに箱のなかをのぞき込んでいる。膝の上の小さな生き物のぬくもりを箱ごしに感じながら、もうひとり、赤ちゃんを育てることになったのだ、と、ちょっと覚悟を決めるような気分になっていた。