惣譽酒造株式会社

地震のあと

2017
517
Wed

明治の初めに建てられた事務所兼住宅は、木造の骨組みこそ崩れなかったものの、地盤が東へ動いたため、柱が基礎の上に載っていない状態で、床や天井が、東に傾いていた。塀や窓が壊れてなくなってしまったので、貴重品を道の反対側の両親の家に移した。両親の家は、新しい建物で、比較的影響は少なかった。私達夫婦と子供3人は避難して、家族全員でここで寝起きすることになる。毎朝、会社に出勤し、色々なものが散乱した事務所や家の中を片付けた。割れたガラスや、本棚から落ちた書類、倒れたタンス。古い家だったので、土壁があちこちにあって、その土が塊で落ちて、家具にも畳にも降り積もり、壁の下地があらわになっている。人間が住まなくなって、食べ物があると、ネズミが我が物顔で走り回る。ひと月ほどは、とにかく集めて、捨てて、掃除して、を繰り返した。

おつきあいのあった建築屋さんに、壊れている箇所の修理を頼んだ。とにかく酒蔵の中が先である。大谷石を積んで造った倉庫や工場は、石がズレて倒壊したり、倒壊しそうになっていたり、もう一度地震がくれば、落ちてきそうなところが沢山ある。屋根の上に、となりの建物の大谷石が崩れて落ちてきたために、その重さで屋根を支える梁が落ちかかり、木造でも工場内部が危険な箇所があった。機械が入れない場所では、これらの大谷石を人手でおろさなくてはならない。建築を建てるときにも「とび職」は活躍するが、壊れそうな建物を手際よく解体するために、倒壊した石や建材を片付けたり、崩れた瓦を屋根の上からおろしたり、解体にかかわる「とび職」の働きを間近で目にすることができた。なんという力持ち!なんというチームワーク!あまりの男らしさに、若いとびの親方に恋をしてしまいそう。とりあえず、3時の休みにアイスをご馳走して感謝の気持ちを伝えた。

酒蔵の中は、落ちそうな梁は鉄骨で支え、大谷石も鉄骨で補強した。そして、酒の発酵にかかわる部屋は壁の材質などが変わらないように、できるだけ外側から補強したり、修理をほどこしたりした。壁の大谷石にも酵母菌や、生酛仕込みに欠かせない乳酸菌が住んでいるかもしれない。

あちこち直して、なんとか安全が保てそうになるまで、気の抜けない日々だった。その間にも、余震と思われる地震が続いていたが、少しでも揺れると、またあの時のように、だんだん強くなるのではないかと恐ろしくなる。今でも地震が怖い。

 

4月に入って、私達家族は、両親の家から、会社の事務所のある住宅に戻ってきていた。やや傾きかけてはいたが、建具も入り、掃除して住めるようになった。まだまだ直さなければいけないところが、工場内には山ほどあり、それからの三年から四年は、工事現場に住んでいるような生活となる。

 

縁というのは不思議なもので、2011年の8月、恩師の建築家の先生が建築学会賞を受賞され、祝賀会に呼ばれて、出席した。先生にお会いしたのは、15年ぶりだった。結婚前に勤めていた先生の設計事務所を辞めて酒蔵へ嫁いだ私は、もう、先生と建築の話などすることはないと思っていた。