惣譽酒造株式会社

酒席の着物

2017
64
Sun

着物に興味はなかった。成人式の時に人形のように着せられて、結婚式に着せられて、子供の七五三でちょっと写真撮るのに着せてもらって、それぐらいの付き合いでしかなかった。次々に巻きつけられる紐類。ぎゅうぎゅう締められるお腹周り、胸周り。大股で歩けなくなる細い裾。昔の人はなんと動きづらい格好でいたことよ。

惣誉の酒蔵に嫁いで来たとき、主人の祖母は、毎日着物姿だった。髪も自分で毎朝結って、きれいな髪飾りをささっとあしらう。80歳の高齢なのに、ビシっと決めて、店の奥の座敷から事務所にやってくるお客さんを見ていた。

義母はぱたぱたと忙しく動いているので、ブラウスにスカート。(今の私のようにズボンを履くのは真冬くらいであった。)昔、主人が小学生くらいまでは着物を着て車を運転し、学校の送り迎えもこなし、近所の同級生から「河野くんのお母さん、きれい。」と憧れられる存在だったそうです。(いいなあ。)

私も最初は見習って、せめてスカートを履こうとしていたのだけど、やってきた冬の季節、何と言っても寒い。寒いのである。近所で、防寒のタイツや下履きを買って履いていても、すぐに風邪をひいた。いいじゃないか、ズボンを履いて。格好つけていたって、風邪引いてしまったのでは、元も子もないでしょ。まあ、せめて、ジーパンを平日に履くのはやめよう。しかし、ジーパンではないだけで、ヨレヨレとした木綿を(洗濯が容易)着用している。惣誉の奥さんも、崩れたものよ。(ゴメンナサイ。)

 

そんな私がある日、着物に目覚めた。(普段のラフな格好が変わったわけではありません。あしからず。)最初はちょっとした「ん、いいじゃない。」という意識からであった。

とある結婚式に出席したときに、おばさまたちのなかに、一人だけ立派な色留袖を着てきた人がいたのである。出席者は皆、上品なお洋服をお召しになっていらっしゃるのだけれど、色留袖のご婦人は、素敵に際立っていた。着物姿は、晴れの舞台で輝く。特に年齢がある程度のところまでいったら。そう思った。

次の出会いは、市貝町の夏祭りである。8月の終わりの、花火の上がる夏祭りに、中学生の下の娘が浴衣を着ていきたいと言う。

「着せられる?お母さん。着せてよ。」すると、高校生の上の娘が、

「学校で浴衣の着方を習ったよ。ほら、プリントあるよ。」

「おお!女子校は浴衣の着方を教えてくれるんだ、いいねえ。」

なんだか俄然、やる気が出てきて、四苦八苦して、娘に浴衣を着せた。(今考えると恥ずかしい状態でお祭りに行かせてしまったような記憶である。暗いから、そんなに詳しくは見えないかしら・・・)

面白い。可愛く仕上がるのが嬉しかった。

そして、極めつけは、「惣誉を囲む秋の夕べ」。宇都宮で毎年11月に開催される、愛飲者さま感謝のパーティーである。父母の代から行われているので、もう30回を超える、恒例の行事となっている。300名近くのお客様のテーブルの間を、お酒を注ぎながらご挨拶、お話に廻る。知り合いになってしまえば、楽しい。しかし、まったく初対面の人々のところにも、「今日はありがとうございます。」「お酒、いかがですか。どうぞどうぞ。」と、酒瓶を持って廻るのは、「あんた、だれ?」の世界である。美人であったら、振り向いてもらえるかもしれない。もっと若ければ、振り向いてもらえるかもしれない。あいにくどちらも、もちあわせていない。そうだ、「着物」なら・・・。

その年の秋、初めて着物を着てみた。なんと、着物屋さんでちょこっと習ったくらいで、自分で着付けていったのである。なんとまあ、勇気のある行為。最初は美容院でやってもらえばよかったのに、どうしても自分で着たかった。忙しいというのもあるけれど、何だか思い込みが強かったのである。

それからこの前の秋まで、毎年着物で参加している。素敵な着物の先生に、着付けを習うようになった。 着物姿の2年目のパーティーで、「いやあ、去年はひどかったけど、今年はマシになったね。」と言われてしまった。

 

上達したのね、と、思うことにしました。トホホ。