惣譽酒造株式会社

酒が弱いという心得

2017
722
Sat

日本酒の蔵元はお酒、強いんですか?奥さんも?いや、私は弱いんです。すぐ真っ赤になっちゃって。と、言わずに済んだらどんなにいいかしら。ええ、大好きです。やっぱりお酒造って売っているのですから、沢山美味しくいただけます。と、言いたい。全く受け付けない体質ではないので、ある程度は飲める。美味しい肴があると、お酒がないと寂しい。そこで、美味しくお酒と一緒にいただく。でも、すぐ酔ってしまって、安上がりな酒代である。

 

惣誉との初めての出会いは三十年前。「吟醸酒」。「モンドセレクション金賞受賞」というシールが肩に貼ってあった。それまで持っていた日本酒の味のイメージとはまったく違う、香りが良くて、「白ワインみたい」という感想をまわりの皆で言っていた記憶がある。「吟醸酒」というものが、今ほど一般的ではなく、今よりもっと、価値が高かった時代。酒造りの熱意を語る蔵元と、すっきりとした吟醸酒。それからというもの、惣誉を度々飲んでは、人と語り合い、酔っ払う生活を送ってきた。

 

その昔、学生のころは、コンパと称して、宴会に興じていた。とてもとても楽しくて、何をそんなに集まって長い時間一緒に過ごしていたのかわからないけれど、お酒が弱い私も輪の中にいれてもらって、楽しかったという印象しか残っていない。カラオケもそんなに普及していなかったので、ギターを弾ける子が店にギターを持ってきて、流しのお兄さんみたいに生伴奏でみんなで歌ったりしていた。他のお客さんにはとても迷惑なハイテンションの学生たち。危うい若さをふわふわと楽しんでいた幸せな時代である。今にして思うと、この頃から、お酒飲みの席が好きなのであった。気持ちのタガが外れて、おおらかに話ができる。隣の人と仲良くなれる。

他の適性は疑わしいものが沢山あるけれど、この「宴会を楽しめる」という性質は、造り酒屋の嫁としては合格だったのかもしれない。

 

でも、何しろ酒が弱いので、潰れてみっともない姿を晒したことがいっぱいある。

社会人になって間もないころ、事務所の女性の先輩に、飲みに連れて行ってもらった。特別、お酒が強い先輩であった。水道橋の駅の近くで、初めて「ホヤ」などをつまみに、何を飲んだのか、焼酎だったのか、日本酒だったのか、案の定、私は帰りの駅のホームでベンチに座って、気持ち悪さを必死でこらえるという、悲惨な状況に陥った。ボーっとした意識のなかで、先輩の冷めたつぶやきを聞いた。

「あれ~。まだ、ほんとにかわいいんだねー。子供らしいねー。」

 

大人になりたい、と、思った。

いま、大人になれているだろうか。